こんにちは。みなみ。(youtube.com@minami-life)です。
この記事では、自閉スペクトラム症(ASD)当事者として、私が出生から幼少期に経験したことをお話します。
・ASD当事者の生の声が知りたい方
・生きづらさを解消するきっかけがほしい方
・「自分と同じだ」と共感したい方
本記事は、30代で自閉スペクトラム症(ASD)と強迫性障害と診断されたみなみ。が、自身の体験をもとに執筆しています。
みなみ。のプロフィールは、以下で詳しく紹介しています。

幼少期を母親に聞くと「普通だったよ」の一言

みなみ。は、平成元年7月に北海道で第一子として出生します。出産時に特別な異常はなく、ハイハイは8ヶ月、発語は1歳2ヶ月、三語分は3歳6ヶ月でした。
2歳の定期健診で保健婦さんから、「言葉ちょっと遅いですね」と言われたものの、特に問題視はされなかったそうです。
一人遊びが好きで周りの子に興味はありませんでした。一方で、大人とのおしゃべりは自分の話を喜んで聞いてくれるので好きでした。
母方の祖父母にとっては初孫ということもあり、親戚からもすごく可愛がられたと聞いています。
祖父母が大切にしていたアルバムにも、多くの写真が残されていました。
また、祖父母共に医療従事者であり、祖父は検査技師で祖母は看護婦でしたが、発達障害の指摘はなかったそうです。
父親の仕事の関係で転勤が多かったことを除くと、ごく一般的な家庭でした。
おしゃべりで一人遊びが好きだった幼稚園時代

幼稚園時代は、年長の1年間だけ通いました。
大人との関わりを好み、自分の知らないことを質問攻めにしたり、大人の見解を得るために、「見てみて」と手を引っ張ったりしていました。
一方的にしゃべるのが好きで、知識欲が強かったのでしょう。
しかし、当時はインターネットが普及しておらず、大人の知識に頼らざるを得なかった部分もあったのかもしれません。
一方で、同年代の子にはあまり関心が向きませんでした。理由としては、次のようなものがあります。
・自分の世界に入って、一人で遊ぶのが好きだった
・友達を作る必要性を感じなかった
・周りの子の話題がよく分からず、興味も持てなかった
ただ、避けていたわけではありません。周りの子が私の遊びに合わせて入ってきたときは、自然と一緒に遊んでいました。
デパートから家まで一人で帰った

5歳の頃、デパートで迷子になったことがあります。母親を探しても見つからず、私は一人で家まで帰ることにしました。
デパートから家までの距離は、およそ3kmです。歩いて行ったことはなく、頼りになったのは車の窓から見ていた景色だけでした。
それでも、写真を切り取ったかのように景色を鮮明に覚えていました。
曲がる交差点、途中にあるお店の特徴、高架橋のような目印になる場所などです。
ただ、家に着いても母親はいませんでした。そこで近くの交番へ行き、お巡りさんに「家が開かない」と伝え、保護されました。



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