皆さんこんにちは。みなみ。です(*´ω`*)
私は30代で発達障害(ASD)と、強迫性障害と診断されました。
この記事では、私の発達障害(ASD)体験をもとに、メンタルについて投稿しています。

発達障害とは知らずに、専門学校生活を送った方のリアルが知りたいです。
以上の方向けに、記事を作成しました。
オープンキャンパス

高3の夏休みに進学先の学校を決めるため、オープンキャンパスに行きます。ある学校の講師から『国家資格取らせる自信あるよ。』と、自信満々に言われたのが決め手になりました。
就職率も98%以上を謳っており、学校の本気度が窺えます。自信なさげで弱気な回答をする学校が多い中で、『取れる』とはっきり言い切る講師の言葉に魅力を感じたのでしょう。
ポジティブで勢いがある人に悪意を感じることはなく、初対面でも信じやすいところがありました。
計画を立てるのが苦手

『将来はシステムエンジニアになりたい』という漠然とした目標がありましたが、どこか他人事な感じで将来像はイメージ出来なかったです。
計画することに苦手意識があり、その場の成り行きに任せて決めることが多かったと思います。将来やりたいことは言えるけど、キャリアパスについて聞かれると答えられないイメージです。
したがって、見学先の学校や学生寮は決めましたが、移動方法や宿泊先、一日のタイムスケジュールや見学で見るポイントはノープランでした。
あまり多くは頭で押さえられず、頭がパンクしてしまうからです。計画をシンプルにすることで、パンクを防いでいました。
実家を出て初めての一人暮らしが始まります。親元を離れた開放感で満たされて、気分が高揚し全能感を覚えます。自分は何でもできるという感覚です。
ところが、しっかり計画しなかったことで、こんなはずじゃなかったと思うようになります。
その場の成り行きに任せて決めたことが仇になったのです。思い描いていた学校生活を送れず、厳しい現実に直面します。
学生寮は3年間過ごす重要な場所という意識があり、予算よりも気にいったかを優先しました。
金額についてふれると、学生寮が食事有りで月8万円の年間管理費が20万円と、周辺相場の約3.5万円と比較して高かったと思います。
家族に話すと驚かれましたが、『自分が決めたことなら』と反対はされませんでした。
親から学費だけは出してもらえたので、生活費は自分で準備する必要がありました。週3程度のアルバイトと奨学金の月10万円があれば十分やっていける計算でした。
ですが実際に生活してみると予想以上にお金が掛かり、不足分を補うためにアルバイトを週5に増やします。それに比例して勉強する時間の確保が難しくなりました。
すぐに気づけば別の方法があったかもしれません。ですが、高校時代に勉強していた貯金があり、入学して半年程度は授業に遅れることはなかったので、手を打つことは出来ませんでした。
半年を過ぎたあたりから学業が疎かになっていたことに気づきますが、生活のためシフトを減らすことも出来ずに八方ふさがりになります。
コミュニケーションのテンプレ化

初対面の人とはこうする、と自分なりのテンプレを作ることで、表面的に仲良くなることが出来ました。
しかし、長く関わる必要がある人だと何を話せばいいか分からず、距離の取り方やどういうテンションでどんな風に話せばいいか分からずに悩みます。
『こういう場合は、こうする』と、全て網羅することが出来ないコミュニケーションは、自分にとってルールのない無法地帯に思えました。
自分から話すとボロがでてしまうので、『来るもの拒まず』の精神で待ち受けることにします。
話しかけてくれた人は癖の強い人でしたが、『話しかけてくれた人だから親切な人』の考えがあったので、すぐに信用しました。
人の特性よりも、明示された行動に基づいて善悪を判断する傾向があったからです。
しかしながら、少しでも意見が違うとすぐ癇癪を起こして、ニヤニヤしながら手を出す人だと分かります。
ですが、話しかけてくれた親切な人だから変な人のはずがないと思い込み、人付き合いとはこんなものだと考えを改めることが出来ませんでした。
そんな中、その関係性に違和感を持ったクラスメイトから助言を受けます。癖の強い彼の素性や過去を聞かされて、関わってはいけない人だと気づきます。
他のクラスメイトからもあの人は注意するようにと言われました。ですが、恩を仇で返すようで気が引けるということを正直に伝えます。
すると、被害者が集う下宿先に案内してもらえて、被害者の貴重な話を聞くことが出来ました。
おかげで自分の中の罪悪感がなくなり、周りからの暖かい支援のおかげで、癖の強い彼のロックオンから逃れることが出来ました。
学校生活での困りごとの増加

言葉の聞き取りにくさが授業を受ける上で影響を与えます。興味のあることだけを勉強できる環境は、高校生活とは打って変わって集中出来て、寝てしまうことはありませんでした。
勉強仲間が近くにいることも、良いモチベーションになったと思います。問題をひたすら解く形式の講義は、問題だけに集中して取り組めるので、自分に合っていました。
しかし、話を聞く形式の講義は、講師の言葉を聞き取るのが難しく、内容が頭に入ってきません。また、ノートをとっている間は周りが見えなくなり、講師の声が言葉として認識することが出来ませんでした。
ですが、まさか自分が障害だとは思ってもいなくて、ただの気のせいだと深刻に考えることはありませんでした。
学校生活で困ったことの中に長時間の講義があります。トイレが近い自分にとって1コマ90分の授業は非常に長く感じました。
授業の後半は常にトイレのことを考えるようになり、勉強どころではありません。そこで、講師の理解を得ようと思いましたが、生徒を見下してバカにするような人だったので素直に頼れませんでした。
どうしても我慢出来ずに席を立ったことがありましたが、『専門学生にもなって講義中にトイレか』と、講師に呆れたような顔をされたのはとても悔しかったです。
資格試験が終わるとグループ学習が始まります。グループで行うプログラミングの講義は、人見知りの自分にとって地獄でした。
なんか話さないといけないけど、話すことがなくて目が泳ぎます。相手も困った様子で微妙な空気になり、その場から逃げ出したい気持ちになりました。
自分のペースで進めることも出来なかったので、時間が経つのが遅く感じて辛かったです。周りがガヤガヤすると余計に講師の声が聞き取りづらく、講義の後半は何をやっているかも分からなかったです。
卒業研究でも自分の苦手なグループ学習があると聞いて、『今度はなんとかしないと』と心の片隅で誓います。
『ネットワークの仕組みについて』をテーマに、実際にネットワークを構築することで理解を深めることにしました。
開始早々に突然メンバーから『〇〇に任せた』と、他人任せ宣言を受けて困惑します。
ですが、人前で発表することが苦手だった私は、自分ひとりでパワポ資料を作る代わりに、自分抜きで発表するよう提案しました。
一見偏った提案に見えるかと思いますが、それが平等に思えるほど人前で発表することが苦手だったのです。
パワポ資料の前半で頑張りすぎて、後半はさっぱりした作りになってしまいましたが、チームメンバーからは絶賛されたので大丈夫だったと思います。
アルバイトでは融通が効かずに苦労

生活費のためにアルバイトを探します。コミュニケーション能力も次いでに向上したらいいなと淡い期待もありました。
マニュアルがしっかりしていて、知名度があって安心なイメージがある某飲食店でアルバイトを始めます。先輩から暖かく迎えてもらえて好感触だったと思います。
ですが、厨房内はいろいろな機器の音でうるさくて、指示が聞き取りづらくて返事が出来ずに怒られたりしました。徐々に自信を無くし、怒られるのが怖くて聞き返せなくなります。
大量に注文が来ると親切な先輩が手を貸してくれましたが、そのせいでどこまでやったか分からなくなって手が止まります。自分の中のリズムが崩されると頭が混乱してフリーズするからです。
やりづらさを感じてはいましたが『手助けは不要』とは言えずに、同じミスを繰り返して失敗します。
マネージャーから目を付けられて、きつい言葉や嫌味を言われるようになります。床を指して『これなに?』や『何その目は?』などです。
また、矛盾したことが嫌いだった自分は、Aさんから教えてもらったのに、Bさんからは違うと言われた際に、どうしても納得がいかずに言い返すなど融通が効かないところがありました。
『周りを見て動いて』と言われても具体的にどうすればいいか分かりません。段々と働きづらさを感じるようになりました。
どうにかしようと考えた自分は、『人の真似をすること』で打開しようとします。耳からの情報は理解が難しいですが、目からの情報ならスムーズに理解出来ると分かったからです。
仲が良い先輩を手本に体の動きや話し方を観察して、そっくりそのまま行動することでうまくいくようになりました。周りからは動きがよくなったと評価されるようになり、新人の教育を任されるようになります。
ある日、仲がよかった先輩が突然キレて殴りかかってきました。2年が経ち仕事にも慣れて余裕が出てきた時期のことです。
様子を見ていた人が押さえてくれたので大事にはなりませんでしたがまったく心当たりがなく、豹変した先輩の姿を見て怖くなります。
しばらく経ってから理由を聞きましたが答えてくれず、以降は失言を恐れて話すことはほとんどなくなりました。



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