『普通だったよ』と母親から言われた幼少期。
2歳の頃に『言葉ちょっと遅いですね』と保健婦さんから言われましたが、定期健診で異常を指摘されることはありませんでした。
一人で遊ぶのが好きで、周りの子に興味はありませんでしたが、大人とのおしゃべりは好きでした。
今回は、アスペルガー当事者が経験した出生から幼少期の様子について、紹介したいと思います。
皆さんこんにちは。みなみ。です(*´ω`*)
私は30代で発達障害(ASD)と強迫性障害と診断されました。
この記事では、私の発達障害(ASD)体験をもとにメンタルについて投稿しています。

発達障害と診断された方の幼少時代はどんな子だったか知りたいです。
以上の方向けに記事を作成しました。
『普通だったよ』と母親から聞いた幼少期

平成元年7月に北海道で第一子として出生しました。
出産時の異常はなく、ハイハイは8ヶ月、発語は1歳2ヶ月、三語分は3歳6ヶ月でした。
2歳ごろ保健婦さんに『言葉ちょっと遅いですね』と言われましたが、定期検診で異常を指摘されることはありませんでした。
すくすくと育ち、母親に他の子と違った点や違和感はなかったか聞きましたが『普通の子だったよ』とのことでした。
母親兄弟の中で一番初めに生まれたということもあり祖父や祖母、親戚からすごく可愛がられたそうです。
その中でも特におかしな点や違和感を指摘されることはなく、祖父は医者で祖母は看護婦でしたが発達障害を指摘するようなことはありませんでした。
父親の仕事の関係で転勤が多かったことを除くとごく一般的な家庭だったと思います。
おしゃべりで一人遊びが好きだった幼稚園時代

幼稚園時代は1年保育しかなかったようで1年間だけ年長として過ごしました。
幼稚園時代はおしゃべりだったと聞いており、自分の知らないことについて質問攻めにしたり自分の興味のあることを一方的に話したり、ことあるごとに『見てみて』と言って大人の手を引っ張ったりして大人を困らせていました。
ニコニコしながらちゃんと話を聞いてくれるので母親や親戚、先生など大人とのおしゃべりは好きでしたが、幼稚園の同じ年の子とはあまりしゃべらず、一人で遊ぶことが多かったと思います。
一人でブロック遊びをしたり幼稚園で飼育していたモルモットと触れ合ったりが多く、周りの子に興味はありませんでした。
休日は母親に連れられて近くの総合運動公園で遊んだりしていました。アスレチックで一人サスケごっこをしたり、サイクルスポーツ施設の自転車でタイムを計りながら一人レーシングカーごっこをしたり、自分の世界に入って一人で遊ぶことが楽しかったです。
同じ動きをするものに妙な安心感がありました
母親と一緒にスーパーに行くと、母親が買い物をしている間はゲームコーナーに行って、メダル落としゲームの繰り返し動く押し板の動きを眺めているのが好きでした。
同じ動きを見ることに妙な安心感を覚え、ずっと目で動きを追って楽しんでいました。
それを見た大人から時々メダルを貰えましたが、なぜか可哀そうな子を見るような目で見られていたように感じます。
母親に対しては事あるごとに『ゲームは見るものだよね』と言っていました。
迷子になって3km先の自宅まで一人で帰りました

またスーパーで迷子になった時、いつもなら少し探せば見つかるのに見つからず、母親が自分を忘れて家に帰ったと思い、3km先にある自宅まで一人で歩いて帰ったことがあったそうです。
ちなみにスーパーまではいつも車で行っていたので、車の窓から見た景色だけを頼りに歩いたということになります。
車では住宅地の中を複雑に通る近道ルートを普段利用していて、大通りを利用するルートはほとんど使ってなかったそうですが、大通りを利用するルートを使って自宅まで帰ったことは覚えています。
曲がる交差点の景色を覚えていたり、数回行ったことがあるひな人形のお店や見覚えのある高架橋を見つけて道が合っていることを確認して安心しながら歩きました。
結局自宅に帰っても母親はいなく家にも入れなくて、体力も消耗してスーパーに戻ることも出来ずに途方に暮れていましたが、近くに交番があることを思い出して交番に行き『家が開かない』と伝えて、交番の中で待たせてもらうことが出来たのでなんとかなりました。
ここまで見ていただきありがとうございました(*´ω`*)
それでは、また(´∀`*)ノシ



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